数字と人
[『YOUNG JAPAN』No.0(1996年12月12日発行)掲載]


 

【文=山背悟平 構成=血祭鉄兵

【第2回】


このコーナーの趣旨は毎回ある数字をキーナンバーとして、
その数字にまつわる人物をこちらで勝手に決めて話を展開していくものである。

今回は第2回目という事なので「2」である。
2という数字について連想されることは色いろあると思う。

二番煎じ、二代目、二子玉川……
と数え上げたらきりがない。

ここでは“二代目”ということで
綏靖(すいぜい)天皇を取りあげて話を進めよう。





二代目というのは往々にして初代を超えられないものである。

『男!あばれはっちゃく』(二代目・桜間長太郎)




しかり、


若乃花(現・花田虎上)


しかり、


二代目メフィラス星人



しかり、


ジョン・レノンの息子
(ジュリアン・レノン、ショーン・レノン)

しかり、


長嶋一茂




しかりだ。


このように、初代のインパクトが強すぎて、

二代目は陰に隠れてしまうというケースが多々あるようだ。

そこで綏靖天皇である。




日本がかつて軍国主義教育をしていた頃に学生だった方ならご存知かと思うが、
本誌の読者はそうでない方が多いので、
できるだけ詳しく紹介してみよう。

『日本書紀』によれば綏靖天皇は第二代目の天皇であるとされている。

国風諡号は神渟名川耳天皇(かんぬなかわみみのすめらみこと)、
在位期間は紀元前五百八十一〜五百四十九年とされている。

ここまで書いておわかりいただけただろうか。

実際に綏靖天皇という人物は存在しない。

奈良時代に書かれた国史書である『日本書紀』の中で創作された人物なのである。

『日本書紀』には、二代綏靖天皇から九代開化天皇間では
天皇の名、皇后、后妃、皇子女、在位期間、享年、
陵などが記載されているだけで、治績がほとんど伝わっていない。

そのためこの八代は「欠史八代」とも呼ばれている。

では何故この八代の天皇を創作したのかというと、
この『日本書紀』が書かれた奈良時代は、
文化面、政治面と全ての面で唐からの影響が強く、
唐で古くからの言い伝えである

「辛酉(しんゆう)革命説」

に則ったからである。それは

「辛酉の年に重大な革命が起こる」

という言い伝えなのだが、
皇室を正当化する歴史書としては、
その辛酉の年に初代神武天皇の即位をあてがわなければならなかった。

……というのが今日(本文掲載は平成八年)の定説である。

その当時における辛酉の年が紀元前六百六十年、
つまり神武天皇即位紀元(皇紀)元年だったというわけだ。

それから実在の天皇の歴史とつなげるのだから、
八代の天皇だけでは足りようはずもない。

もうちょっと綿密に練り上げた歴史を作り上げればよかったのに、
作者が考えるのを面倒臭がったのだろうか、

神と人間の中間にいる天皇だからよいということだったのか、
強引に八代の天皇を作り上げたのだ。

この欠史八代の天皇の平均在位期間は
五十九年半というとても無理な設定がなされている。
欠史八代の天皇の寿命が異様に長かったのである。

もっとも、景行天皇(第十二代天皇)治世の大臣であり、
十円札になった武内宿禰などは二百四十年間生きたとされているが。



とにかく、
この時代の皇族は不自然なまでに寿命が長かったことになっている。



さて、肝心の綏靖天皇であるが、
神武天皇の末子で庶兄〈手研耳命(たぎしみみのみこと)、〉
がいたのだが、
その庶兄を差し置いて二代目天皇となった。

手研耳命が父の皇后を娶り、
異母弟の神八井耳命(かんやいみみのみこと)と
神渟名川耳尊(のちの綏靖天皇)を殺害しようと企てたので、
先手を打って神八井耳・神渟名川耳兄弟が
寝ていた手研耳命を襲撃。
弟の神渟名川耳尊が手研耳命を矢で射殺したのである。

そしてその後皇位に即いたということである。

皇位に即いた綏靖は母〈媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ)〉
の妹〈五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと〉
を皇后に立て、葛城高丘宮に皇居を構えた。

在位三十三年にして没し、
桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)
に葬られたとされている。

綏靖の御名「神渟名川耳」に「神」という字が名前の頭にあるのは
神の子孫であることに他ならない。

要するに綏靖の名は川の神を意味し、
それが天皇の名として転用されたことになる。



ところで、私は十年ほど前、
明治神宮の宝物殿で歴代天皇の肖像が一挙公開されると聞いて
見に行ったことがあったのだが、

やはり欠史八代と言われる天皇は具体的なイメージがないのか、
現在の皇室の人々の面影が残る顔が描かれていて、
綏靖から開化天皇までの肖像がほとんど同じ顔だったのには
さすがに驚いた。

手抜きもここまでくれば立派である。



次回のキーナンバーは四十一。

モートン・サボトニック(作曲家)等について。



[ページ管理者注:「欠史八代」は
非実在説・実在説両方ありますので、
気になる方は「欠史八代」で検索してみると
興味深いサイトが色々見つかります]


 


 


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